
名画へのリスペクトとユーモラスな批判精神がまじりあう楽しさ
「最後の晩餐」も、「モナリザ」も、「真珠の耳飾りの少女」も、みんなみんなコケコッコ!どんな重厚な名画も渡辺悠太郎さんにかかると、みんなニワトリになってしまうのでした。
6月20日、箕面市の牧落八幡大神宮そばのふくみみギャラリーで開かれていた渡辺悠太郎展に行きました。障害のある人たちのアート表現をサポートする画家・二口圭子さんが自宅を改造して運営しているふくみみギャラリーの「自在に描く表現者たちシリース」では、これまでに熊谷友野さん、維真(かや ゆいま)さん、谷口将郎さんをはじめ、専門の教育を受けていないアールブリュットといわれるひとたちの作品を紹介してきました。
彼女彼らが生み出す作品の前に立つと、わたしが認識しているものやかたち、人間や動物や街がまったくちがった姿で現れてくることに驚きます。「ああ、ここでもまた教えられたな」という実感とともに、ひとは世界の半分しか見ていないことを改めて知ることができるのです。それは日常のくらしで出会うさまざまなものだけでなく、政治や文化、社会全般においても、世界をとらえる視点はひとや場所や時によってさまざまで、遠近法の地平線で縛られるちいさなのぞき穴からだけでは決して見ることができないことを思い知るのでした。
絵画もまた時代の記憶の破片で世界をつくりなおす未完のドキュメンタリー
豊中ワークセンターで活動されている渡辺悠太郎さんは世界の名画の登場人物を自ら生み出したニワトリのキャラクター「コケちゃん」に変身させ、見事に名画をまったく違う絵にしてしまいます。ところが元の名画と彼の絵を見比べると、思わず笑ってしまいながらも不思議に「なるほど」と納得してしまう説得力があります。
実は今回の名画コレクションを紹介するにあたり、元の名画と一緒に見てもらう方がいいのか、いや、題名だけで彼のオリジナルを見てもらうだけの方がいいのか悩みました。というのも、彼の絵だけを見ていると「コケ」ちゃんの世界が無限にひろがり、世界はもっと寛容でおだやでユーモラスで、とても幸せな気持ちにさせてくれます。元の名画と並べるとどう見ても模写とはいいがたい彼の絵とのとてつもない距離感とともに、元の名画に彼がどう感じたのか、絵画の世界の権威主義に対する批判があるのか、などなど、さまざまなことを考えてしまいます。そのことでかえって彼のオリジナル性が隠れてしまうのではないかと不安に感じます。
けれども、彼の感性を通り過ぎて生まれ変わった作品は元の名画の持つ悲劇性すらも喜劇に変えてくれて、ダビンチもマネもルソーもミレーもまた、思わずにっこりしてしまうのではないかと思いました。
音楽が時代の記憶と伴走するジャーナリズムとすれば、絵画はいくつもの時代の悲しい記憶もうれしい記憶も粉々にして、その破片たちが新しい時代をつくりなおす未完のドキュメンタリーなのかもしれません。
今回も妻と友人とお邪魔して、あれやこれやとよもやま話をしながらの観賞で迷惑極まりないと反省しつつ、いつもこんな素敵な場所を用意してくれるふくみみギャラリーに感謝しています。


